国語の勉強【001】
国語の勉強
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はしがき 〜 はじめに
著者の水野遼さんは、現在は法曹界に身を投ずることを決意して、法律の勉強をしている(2012年)。第二版の時点で、実務家の先生と関わり思考方法は受験生時代から実務家の方向へと変化している。
テストというのは、限られた資料しか参照出来ない代わりに60、70点が取れれば良く、それが良くて80、90点になるようなものだが、実社会では何を見ても誰に聞いても良いかわりに、間違うことは許されず、100点満点でなければならない。
センター試験の現代文は、(特に小説は)もともとが解釈の余地を多分にはらむ題材であり、時に作問者の恣意的な解釈に乗っかることを要求される。(配点も高く博打性が大きい。)そんなもので満点を取る方法など存在しないと筆者は考えている。あくまで、わたしならこう読むというひとつのサジェスチョンと、選択肢が時にめちゃくちゃであるということをアイロニカルに示したいというのが本書の旨。また、現代文の点数が伸び悩むというのはよく聞くが、問題文が悪い事がほとんどであるとも考えている。
しかしだからと言って放棄していいというものでもなく、正しい日本語の読解や表現という社会生活最低限のスキルも磨かない前に英語や数学漬けになるのは、ナンセンス極まりないという。
ただし新たに第二版を書くにあたって説いてみて、作問者の作問能力の劣化が著しく感じられ、こんなものがバカロレアやSATと肩を並べるセンター試験なのかと唖然とさせられたとも語る。主な理由は前述の通り。
(感想)個人的に普段、よく考えることとのひとつに、日本を牛耳るお爺ちゃんたち(一部の法曹、研究者、大企業の上層部)の論理能力の怪しさ があった。若い子の論理能力が優れているとも特段思わないのだけれど、こういう現行の権威(であるお爺ちゃんたち)が堂々と提示してくるものに、サラッと修正(注・批判ではない)を入れられる論理性、もしくはそういう学問 が若い子たちのあいだに成立するといいな、と常々思ったりする。
よくTwitterやYoutubeのコメント欄の世界で繰り広げられるレスバでは、そういう全員共通の指標がないから、感情論でも説得性や共感性があれば罷り通ってしまう場面が多い。議論ではそういう柔らかさは廃して(議論にも様々なスケールや目的があるけれど)判断出来る論理能力と国語力の養成は、現行の権威に良いように騙されないためにも 必須なんじゃないかと思ってる。
あと、ゆくゆくは、そういう確固たる議論の指標を持ったAIが政治に参入してくれたら嬉しい。
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本文全体を見据えて説く。
選択肢に迷った場合の処理の仕方はセンター試験においては鍵を握る。
よく言われる消去法には弱点があり、ひとつは早い段階で正解を除外してしまうリスク。
もう一つは、選択肢を絞った後の決定打が見つからないことの多さ。
センター試験では、本文には矛盾しないものの必須語句や説明がない誤答パターンが散見されるが、このような他力本願な受動的解決法よりも、記述式と近い回答過程をある程度辿っていきたい。
❶ 意見を聞く前に参照元(本文)を読み、論点(傍線部)でしばらく読んでから、問いを見る。
余計な先入観を入れない。
❷ 問いに対し、自分なりに解答する。
慣れてくると採点基準のようなものが分かってくる。
❸ 選択肢を見て、自分のイメージしたものに最もよく馴染むものを選ぶ。
途中